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病気療養中。

お久しぶりです。
色々日記に書きたい事もあったのですが、しばらく寝込んでおりました。
日記はこの書き込みの後に書きます。


以下は、私の生まれ持っての持病、喘息について。
ここ数日思ってた事を長々と書いているだけなので、興味ある方だけ自己責任で読んで下さいな。





静岡を出て、鹿児島に戻ったら、
何だか急に懐かしい病魔が私を訪ねてきました。

静岡に出て来てからというもの、年末年始の肺炎を除けば、ずっとまともに出ていなかった喘息の発作です。

喘息という病状について簡単に説明すると、

○呼吸器官が炎症を起こして狭くなり、吸える酸素量と、吐ける二酸化炭素量が減るという物。分かり易く言うと、身体は水の中で、咥えたストローだけを水面に出して呼吸をしているような状態。

○かつ、炎症により、酷く咳が出る為、余計に苦しい
+咳のしすぎで腹筋・背筋・頭・胸に痛みが走るのと、胃が物を受け付けにくくなる。
酷い時は目の前に火花が散るかと思うような痛みが走るコトもあるし、頑張って食べても全部吐いて、衰弱の一路を辿る。

○炎症と闘った白血球が死骸となって排出される為、痰の量が増えて、咳と息苦しさを手伝う。



ここ1週間程、発作時に吸入する薬(気管支拡張剤)を使っても、2時間もするとまた症状が出てしまい、回復の兆しが見えず、
息苦しさ自体は酷い時のそれまでじゃないにしても、ゆっくり眠る事さえ出来なかったので、これは埒が明かないと病院に出向いて、
昨日、久しぶりに薬漬けになって帰って来ました(´ω`)

なんか診察室入ったら、「とりあえずすでに体内酸素量が足りないんで、まずこれ飲んで。点滴の代わり。」って、錠剤をざらっと掌に出されて(7錠)、右肩に長期持続型の気管支拡張剤シートを貼っていただき、
何かたくさんステロイド剤処方された………
通常の何百倍………
今はこうするしかないって分かってるけど、
薬漬けの感覚ってやだなぁ……
身体の中身に、たくさんたくさん包帯を巻いているような鈍い感覚がします。
それで守られているんだけどね…
副作用で動悸がして……これくらい、酸欠に比べたら何てコトは無いのだけれど、
心臓が「お前は異常だ」って訴え続けている気がする。
苦しくもないのに、胸を押さえたくなる。

「自分の箱(身体)の中に、不良品が入ってる。」って、数年前までよく思ってたな。って、思い出した。


私は元々肺が弱く、生まれてすぐ肺の病気で死に掛けて、
物心ついた時から喘息性気管支炎だったのだけど、
親が放任主義だったからか何か、高校に入るまでは、喘息の治療らしい治療をしていなかった記憶がある。
高校生になるまで気管支拡張剤も、ステロイド剤も使った事が無かった。
だから、薬漬けの状態には、あまり慣れていない。

小さい頃から発作が起きるのは日常茶飯事で、当たり前の事だった。
発作が起きても、自分の足で何とか歩けるうちはそのまま学校へ行って、
止まらない咳と酸欠で朦朧として周りを見る余裕は無かったから、私の周囲が私を見てどんな顔をしていたかは知らないけれど、
学校の行き帰りに、通りすがりの見知らぬお医者さんが呼吸の仕方はこうすると楽になるよ、とアドバイスしてくれたり、
初対面のタクシーの運転手が、「俺の子どもも喘息でね」と、無料で拾って家まで送ってくれたコトもあった。
(何か今思うとすごいな。)
でも、私の家族はもう発作が当たり前になっているから、発作を見て慌てたり過保護にしたりもしないし、私も周囲が当たり前な顔をするのが当たり前だった。
時には「(咳と喘鳴が)うるさい」「どっか行け」と言われるコトもあった。
内心「動けねぇんだよ」と反抗しつつも、何かもう、これが私のパッシブだった。


発作がずっと治まらずに3日くらいすると、さすがに体力的に動けなくなって、欠席して、それでも治らないと、病院に連れて行ってもらえた。
そこでも喘息としての治療はなかった気がする。
風邪として、咳止めの漢方薬等。

どういう経緯だったか…祖母の前で発作を起こしてからだったかな、
高校の時に気管支拡張剤を処方してもらって、初めて使った時は、「薬は魔法だ」と思った。
あんなに苦しかった呼吸がすっと楽になって、薬の持続時間が切れると、また苦しくなる。
怖いものだ、とも思った。

私は高校を出るまでは、気管支拡張剤を使うのが嫌いだった。
薬に頼って、身体が薬に慣れてしまったら、この薬も効かなくなってしまうんじゃないだろうかと危惧したのと、
薬を使うってコトは、「苦しくて耐えられない」と私がそう宣言したコトと同じような気がしたから。
今まで当たり前だったものを、どうして今になってギブアップできるのか。いや、できない。(反語)


だけど大学に入って
高校の時以上に、あれこれと時間に追われるようになって
苦しくて動けない時間がもったいないと思うようになり
頻繁に薬を使うようになった。

10分の休憩時間の間に、広い大学の次の教室まで移動する、っていう徒労が
とてつもなく私を疲弊させた。
どうして人と同じ事ができないんだろう。
私が体調不良でも勿論、授業は待ってくれないし。
どうして皆ができて当たり前の事ができないんだろう、この身体は。

学費を貯める必要もあったし、ドイツ留学に行きたいともう考えていたから、大学1年からバイトも始めて、趣味で絵もちょこちょこ描いていたから、尚更、時間が欲しかった。
苦しさに耐えているだけの時間は邪魔だった。


「ちょっと薬(気管支拡張剤)使いすぎだよ。自重した方が良い。」
1日3回までの限度数は守っていたけど、さすがに自分でも使いすぎの自覚はあった。
お医者さんにそう言われて、1人で葛藤に陥るコトがよくあった。

今考えると、起きた発作を一時的に抑える薬だけを使っていたから、治療しないと改善しないのは当たり前だったのだけど、当時の私はそんな事も知らなかった;
ていうか、医者がちゃんと説明してくれ……。
(いつも行ってた病院は気管支拡張剤の処方しかしてくれてなかった。昨日、専門科のところに行きました。)

時間が欲しい。
薬に頼れないなら、体力作りをして発作が起きにくいようにしないといけない。
自分で事態を変える努力もしないで、時間が欲しいんだとだけ我侭は言えない。
夜中に体力作りをするようになった。
2種類の走り込みと、縄跳び。
本当は朝が良いのも分かってるけど、人に見られるのが何か恥ずかしくて;人気の無い夜中を選んだ。
そのお陰かどうなのか、大きな発作は起きなくなっていった。


大学3年くらいの時、生まれて初めて救急車で運ばれて緊急入院した時の事。
真夜中に咳き込んで眠れずにいたら、見回りの看護士さんが
「大丈夫?苦しいよね。かわいそうに…薬使っても良いんだよ。」
と言ってくれた時、
真顔で「ほっといて下さい。」って言いそうになった。
素で「はい?何その冗談?」って気分だった。

それは軽い発作でしかなくて、今はたまたま入院してるだけで、今までこれが普通で生きてきたのに、何で今更になって哀れまれてるんだ?って、馬鹿馬鹿しくなって。
何かひねくれてるみたいで申し訳ないし、当然口には出さなかったけど。
「このくらいなら、そのうち治まるから大丈夫ですよ。」って伝えて、帰ってもらって、
看護士さんはその後、何度か様子を見に来てくれていた。
薬も要らない。このくらいなら大丈夫だって自分で分かる。
こんな程度のものを哀れまれたら、何?もっと酷い発作の時にはどんなリアクション取るの?
私の一生を哀れんでくれるとでも言うの?
………ひねくれてるなぁ…;;

もっと酷い発作の時に声かけてくれたなら、素直に「心配してくれてありがとう」って思えたと思う。


苦しいなんて言いたくない。弱音なんて吐きたくない。
これは私の当たり前だから。
病気で辛い思いをしている人なんて、私以上にももっと居て、
私よりも環境の悪い人だってたくさん居る。
私が弱音を吐いて良いわけがない。

だけど、このまま死んじゃうんじゃないかって思うくらいの時には
私だって怖いんだ、って、心の中で叫びたくなる事がある。


学生の頃、家で独り、寝込む時間が多かった。
お昼休みに母親が顔を出して、「何か欲しいものある?」
……食欲も無いし、「何もない」と答える。
………ここに居て欲しいなんて言えなかった。
いつもの事だから。キリが無い。
私はその手を求めちゃいけない。
求めてしまったら、私は弱くなる。
そんなものは欲しくない。


緊急入院で退院した後に、自分が無理をさせたせいだ、と言っていた友人が、
「無事でよかった」って抱き締めてくれた。

私は平気だから

私を心配して貴方が苦しまないで



もう長年付き添った病気だから、苦しいのは慣れてしまっているし、
今更、辛くはないんだよ、
ただ、怖いんだ。

「苦しいか」と聞かれたら、「不安なのだ」と答えたい。

自分の身体がどこまでこのサドンデスに持ち堪えられるか。

誰かが私の鼻口を塞いでいるわけじゃない。
お願いしたら止めてもらえるわけじゃない。
私を苦しめているのは、私の身体だ。
逃げ場所は何処にも無い。

息のできない苦しさを堪えたくて、床に爪を立てたいのに、酸素の行き届かない指では、その力すら入らない。
まるで、奈落の底へ底へと落ちてゆくのに、目の前の枕を握り締めてすがる事すらできない感覚に陥る。
全身が言うコトを聞かない。

苦しくて苦しくて掠れ消えそうな意識を、容赦なく喚き狂う苦痛が牙を立てて引き止める。
身体の自由は全て効かないのに、どうして意識だけを失わせてくれないのか、
何度も何度も呪った。

酸欠の苦痛じゃない、そこにあるのは恐怖。
泣き叫んで声にする余裕すらない恐怖。



慣れない動悸がする。

そこにあるのは異常だと、身体が訴える。

今は苦しくはない。だけど


誰か………  私の 手を

握っていて くれないだろうかと 

思ってしまった自分が


弱くなったな と

感じた



1人でドイツで過ごして、もっかい鍛えなおしてくるよ(´ω`)
1人の時間に怯えないように。
自分で自分を支えられるように。
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あまり詳しくは語らないクチなのであれですが。

うちは体は丈夫ですが少しばかり問題が2,3。
こんな体が嫌だと思うこともあったし、自分の事情含め、どうせこんなもんだろうな、と割り切って考えたりもしてます。
体は一度中学の頃に治療して、今でも少し暴発(ぇ)することはありますが、それでも当時よりかはまだ楽で。
当時頼れる相手は一人だけで。
うちの親も放任主義でしたが、うちの病気のことに関して学校休むとき以外はやっぱり気にしてたのかなぁ。してなかったかも。

だから誰かに頼らないことばっかり心がけて、頼れる相手なんて、居たら甘えてしまう事だってわかってたし。
甘えるのが悪いことではないけれど、なんかよくわからんプライドみたいなものと相手に迷惑かけれないって気持ちでぐじゃぐじゃして。

そのことを言ったのは一回だけですが、凄く怒られました。

これだけ近くに居て、傍に居て、隣で支えてやれるのに。
見てるだけなんて辛い真似、させんじゃない、って。

辛いとき誰かに見られたくないって思ったのはその時が多分初めてではないけれど、辛いときこの人になら見られてもいいって思えたのは多分最初で。


私は誰かに頼ってしまってるけれど、カイ君は自分で支えられるようにって思うのだから。
拙い言葉だけれど頑張って欲しいです。

長々と申し訳ないデス。(==;

長々かけるりすさんに拍手(・ω・)

リスフィルさん>
誰かに頼らないことばっかり心がけて、頼れる相手なんて、居たら甘えてしまう/相手に迷惑かけてしまう>
自分で自分を情けないと思うようにはなりたくなくて、だから意地になって、
でも最近は「自分は誰にも頼らないぞっていう心構え」よりは、「頼るべき時には頼る切り替えと、頼りきりには絶対ならない心構え」ができる精神の方が強いのかもしれないな、とも考えています。
見ないようにするだけと、見てもなお我慢できるのだと、後者の方が心が強い気がしませんか(’’ (ぇ
私を支えてくれる人を、私が支えてあげられるように、そうなりたい。自分に負けない自分に。

見てるだけなんて辛い真似>このフレーズで思い出したのが、高校の時に、姉から「お前がぐったりしてるの見るのは結構辛いんだよ。3秒後には死にそうだしな。」って言葉聞いた時に「あぁ、何だ、苦しそうにしてんの一応伝わってんだなぁ。じゃあ言うコト何もないや。こっちが苦しんで、そっちも苦しんだら馬鹿みたいじゃん。」と思って、結局一度も病気の愚痴は一切家族に漏らしたコトが無いです。
自分は笑ってなきゃいけないなと思った。
でも本音言ってもらえないのは、それはそれで寂しいのかどうなのか。(はてさて)
まぁ昔に比べたら身体は丈夫になったし、思い出みたいに語れるようにもなってるし。元気元気♪~(’’

こうやって口に出して、改めて「私は弱い」と受け入れて。
「だから強くなりたい」と踏み出すのもきっとアリだ。

3秒後には死にそうだし、ってそれはいいのか。言ってしまって。

私がアレ(ぁ)に頼ってるのは色々理由があるからなんですが、一番の理由は辛いときにすぐ気付いてくれるからですかのぅ。
そういう意味ではカイ君の姉上と似通った感じはあるが。

私は弱いと知ってても強いと大意地張って生きてる人間です。(ぇ

うまくは言えないのですが、ちょっとツラツラと。

>「自分は誰にも頼らないぞっていう心構え」よりは、「頼るべき時には頼る切り替えと、頼りきりには絶対ならない心構え」ができる精神の方が強いのかもしれないな と言ってるように、私も何でも一人で頑張ろうとしているよりも、頼るべき時にちゃんと人に頼れる人の方が精神的にも余裕が出てきて、強いと思います。人に頼りっきりは確かにダメですけど。
一人で意地になって頑張っていると、精神的に全然余裕が生まれないですしね。逆に回りに心配かけて、そして自分が負担になるんだ、と考えて追い込んで、追い込んで、余裕がまったくなくなる。
それはただの悪循環であり、不器用だと思う。

だから、きちんと誰かに頼れて、甘えて、そして自分もそれをしっかりと受け止め、お返しする。
誰かに頼ったら、違う形でその人を支えれる強さを持つ。
それにはまず、自分が「何が出来て」「何が出来ないのか」をしっかりと見極めることが大切になると思う。
それは自分の弱さと向き合うことにも結果的につながるとも。

全然うまくは言えないのですが、人の手を欲したことをカインド君は弱くなった、と言ってますが、私はそれでいいと思います。
自分の弱さから目をそらし続けるよりは、とてもいい。
そして、自分の弱さをちゃんと受け止めることが、とても強いことだと私は考えました。

全然言葉がまとまらないのですが、お互いに強くなれたらいいですね。
りっちゃんは、誰かに頼ってしまった、と言ってるけど、けしてそれは弱いことではないと思うから。
私が思う弱いことは、自分の弱さから目を背け、虚勢を張って一人で頑張ろうとすること。まさに自分自身です。
人に心を見せることが出来ず、素直になれることも出来ず、作り物の笑顔で毎日を暮らしている。
そうやって大切な人を毎日のように怒らせているのですけどね・・・;
「もっと素直になれ、もっと自分を頼れ」何度言われたことか;
それでも私も以前よりは少しずつ、自分の弱さと向き合っています。

誰かが優しくしてくれたら、誰かに優しく出来る人になりたい。
誰かに頼ってしまったら、誰かが頼りにしてくれる人になりたい。
誰かに助けを求めたら、誰かに助けを求められる人になりたい。
世の中、持ちつ持たれつ、です。
お互い頑張りましょうね。

長々と変なこと言って申し訳ないとも思うけど、どうしても気になったので言いたかったのでしたw

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